ニュース とあるオヤジの回想「ああ、わが青春の人工知能」・・・・それは夢か妄想か?

11月 01
Top > ニュース >ニュース とあるオヤジの回想「ああ、わが青春の人工知能」・・・・それは夢か妄想か?

今年、映画「AI」が公開されましたが、みなさんはご覧になりましたか?
あ、いえいえ、私は映画会社の回し者でも、スピルバーク・フリークでもありません
。今から20年程昔に自分がこの分野に興味を持ち、少し勉強したことを思い出した
のです。
そんな訳(?)で今回はAIについてのとりとめないお話・・・

そもそも最初、「AI(人工知能)というものはコンピュータ(ハードウェア)の性
能が向上さえすれば自然に出来上がるものだろう」、というのが一般的な考え方だっ
たようです。いま考えれば実にとんでもない話ですが、その頃、発達したコンピュー
タは人格を持っているものだ、コンピュータが自発的に思考するものだ、という風に
相場は決まっていて、SF小説なんかでもたいていの場合はコンピュータ(ロボット
)が人間の良きアドバイザーになっています。あのプログラムを人手で作成する事な
ど、誰も思いもしなかったのではないでしょうか?

その後(私の若かりし頃には)、人工知能の研究が盛んに行われ始めた事もあり、さ
すがにそういった「機械まかせでなんとかなるさ」的な発想はなくなっていました。
しかし今度は逆に、エンジニアは自分たちの作成する「高度な」プログラムこそが人
工知能を生み出すという事に、なんの疑問も抱いていませんでしたし、人間の思考順
序を忠実に再現できさえすれば、それをプログラミングできさえすれば、それこそが
まさに人工知能であると思っていたのです。

その論拠の一つとして「チューリング・テスト」という「仮想実験」が考えられまし
た。これはカーテンの向こうにいる「何物か」に知性があるかどうかをテストし、合
格したものはロボットであろうがなんであろうが知性体として、認めるというもので
した。知性とは本来関係の無い「外見」と「言語」をテスト基準から外したこの理論
は非常に説得力があり、このテストに合格するようなコンピュータならばなんとか作
成できそうな気さえしていました。もちろん私以外の優秀な方々によって、ですが・
・・・

そして現代。AIに対する認識やアプローチも随分とサマ変わりしたようです。
すさまじい進歩を遂げているバイオテクノロジーやクローン技術の研究によって、人
間の感情ひとつとっても、いろいろな種類の信号(脳内のシナプスや、アドレナリン
血流など)伝達が関係しているという事もわかってきています。ということは感情の
表現を模倣しようとすると、全く同じ発生メカニズムを「人工的」に作成しなくては
なりません。もしかしたら高度に進んだ人工知能はクローン技術と全く区別がつかな
い(あるいは融合する)ものなのかもしれませんね。

でもここで疑問です。仮に飛躍的な技術の進歩があったとして、出来上がったものは
「自然に産まれたもの」と全く区別がつかない状態になるのです。そのときに産まれ
た「人工知能」はどんな存在意義をもつのでしょうね?産まれた瞬間から私たち人間
と全く同じ状態になるのですから・・・私にはそんな最終スイッチは押せません。私
がその「人工知能」の親になってしまうのです。そしてその人生(?)の全責任を持
つことに・・・・

結局、なんの為の人工知能か、という研究自体の存在意義が問われだしているような
気がします。バイオテクノロジーやクローン技術とともに、生命の尊厳とは何かを考
えながら・・
(すっかり重たい内容になってしまった。なんのホームページでしたっけ?)

しかしロマンは私にとって永遠に追い求めていたい、というのも正直な感想です。
21世紀を迎えたら必ずそこには、動く歩道(空港にあるような短い距離のでは無く
都市と都市を結ぶもの)とエア・カー(ホバークラフトのような無骨な大型船では無
く、小型車に取って代わるスマートな)、テレビ電話(コマ落ちする小さな動画なん
て見たくない)と鉄腕アトム(アイボ?先行者??あんまりだ)が居なくてはなりま
せん。

研究者がんばれ!技術者まけるな!!SF作家責任とれ!!!

ああ、みなさんの寝息が聞こえてきました・・・・・そろそろ私も筆を置きます。
今夜は手塚治虫先生の夢でも見るとします・・・・

あ! し、しまった!! まだ「AI」見ないうちに上映終わってしまったぁ~
(井関)